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第六百七十六話_short タイムトラブラー [ordinary day(日常)]

 私には子供の頃から特別な能力があるらしい。その能力とは時間に関するものなのだが、説明するには少し時間を頂戴しなければならない。何しろそう簡単に説明できるような事柄ではないからだ。

そもそも時間という概念についてだが、我々は日常ですごく簡単に時間の話をするけれども、実際には時間とは何なのかという問題について、本当に正しく説明できる人間などいないのだ。物理学者にして、相対性理論だの紐理論だの小難しい理屈や数式を並べて説明を試みてきたが、果たしてそれらが真に証明されたことはついぞないのだ。

時間という代物は目に見えない。また測定できもしない。時計があるではないかというが、あれは太陽や地球の動きを基にして便宜上数字に置き換えられるように作られたものに過ぎない。地球の人間がいう一時間は、その他の惑星に住む生き物にとって同じであるとは限らない。それどころか同じ地球に住む者にとってさえ、同じとは思えないのだ。象時間と鼠時間という話を聞いたことがあるだろうか。体の大きさが異なる象と鼠では時間の捉え方や感じ方が違うのだそうだ。

さらに同じ人間でさえ、何かに熱中しているときと、呆然と過ごしているときの時間の長さが違うと感じたことはないだろうか。

日常的な話をするが、私自身は、決められた時刻に決められた場所へ行くのがとても苦手だ。

たとえば朝九時に三十分ほどの距離にある場所で待ち合わせすることになったとする。私の行動はふた通りある。ひとつは現時刻を読み間違えてあっさりと遅刻してしまう。電車に乗り込んだ時にはすでに時計の針は九時を指していて、そのときの電車の動きの遅いこと。

もうひとつは、もう六時くらいから目覚めていて、まだまだ時間があるなとなにか別のことをする。本を読んだり映画を見たりして気がつくと七時半くらいになっている。そろそろ準備をしなけりゃと余裕で支度をして八時には家を出る。ありゃ、これは早く着きすぎるなと考えて、途中で銀行に立ち寄ったり売店で雑誌の立ち読みをしたりして時間を潰す。そろそろ電車に乗らなければと時計を見るともう八時半を過ぎている。これはいかんと思うが、しかしまだ大丈夫。ちょうどよい時間に着くだろうと思っていたら、電車がなかなか来ない。ようやく到着した電車に乗り込むとすでに八時四十分。おいおいでんしゃ、遅いじゃないかと思うが、目的駅に着くのはどう考えても九時だ。そこから歩いて五分の待ち合わせ場所に到着できるのは九時五分。すでに遅刻が確定してしまっているのだ。

こういうわけで、私は常に正しい時刻に目的地に到着することができない。

長きにわたるこのような時間との闘いを自分なりに振り返ってみてふときがついた。これって、もしかしたらある種のタイムトラベルではないのだろうかと。もちろん過去に向かうようなことはできない。しかし未来に向けた自分の時間的座標がずれてしまうというタイプのタイムトラベル。もしこれをコントロールできるようになれたならば、未来までの時間的距離を短縮したり増幅したりできるのではないか?

長くなったけれども、これが私のいう特殊能力なんだ。

ここまでの話を呆れ顔で聞いていた友人が言った。

「もっと素直に謝ったら? 寝坊して遅れたって。よくもまあそんな言い訳を考えたものだわね」

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                      了


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