第七百十九話_short ラッキー・ウェイ・トゥー・ヘブン [ordinary day(日常)]
ピリポロポロン!
携帯電話のメール通知音が鳴った。
うっかりうたた寝をしていたのだが、その音に目を覚まして時計を見ると深夜零時を過ぎていた。
なんだろう? こんな時間に? 迷惑メールか……いや、もしや?
携帯を開いてみると、案の定隣のフリオさんからのメールだった。ドキッと心臓が鳴る。
数日前から、今日か明日かと日延ばしになっていたことに決着がついたのだ。
”先ほど、23時五十分、天国に召されました”
メールには簡略にそう書かれていた。
ついにそうなったのか。ようやく落ち着いたなという安堵感と、来るべき時が来たのだという悲しみが同時にやってきて、感情は差し引きゼロとなって宙ぶらりんな感じがした。
「隣に行こう!」
同室の有希さんが言った。
パジャマに着替えていたところを急いで外着に着替えてマンションを出る。深夜に外出するというのはなんだか不思議な感覚だ。外出と言っても隣なんだけれども、それでも深夜の街は静まり返って特別な夜のように思えた。
ピンポーン。
シャッターが閉まっている隣の建物の呼び鈴を押すと、フリオさんが下りてきてシャッターを開けてくれた。
「ついに、ですか……」
言うと、フリオさんはいつもと変わらぬ感じで「いい感じやったよ」と言った。
死んでいくのにいい感じと言うのも妙なものだが、なんとなく手厚く見送られた感が伝わってきた。
奥の部屋に敷かれた毛布の上に寝かされたトトちゃんは、昨夜と何も変わらないように見えたが、よく見ると昨夜は微かに上下していたお腹あたりもピタッと静止していて、どこも微動だにしないのだった。毛並みに触れてみると、ほんのりとまだ温かみが残っていた。
「こんなによくしてもらえてよかったね」
「幸せだったねえ、トトちゃん」
トトちゃんに七日、フリオさんになのかよくわからないけれども、私と有希は交互に言った。
人間でいえばお通夜だ。犬のお通夜なんて未だ体験したことがない。
「オレも動物が死んで行くのを看取ったのははじめてや。そもそも犬を飼ったのもはじめてやからなあ!」
十四年もトトちゃんの世話をしてきたフリオさんはそう言った。
五歳くらいで迷い込んできたトトちゃんは、おそらく今年十九歳。人間でいえば九十二歳くらいだそうだ。
「これって寿命?」
有希がとぼけたことを訊いた。
「そうに決まってるでしょ?こないだから大往生ってみんなが言ってたでしょ?」
犬に大往生なんて言葉が当てはまるのかわからないけれども、まさしくこれは大往生だ。病気にもならず、命のぎりぎりまで生きれる犬が、世界にどのくらいいるのだろうか? トトちゃんはそうした数少ない大往生犬の一人に間違いはない。
「オレの商売が下り坂になった時にな、トトのおかげで救われたんよ」
トトにまつわる思い出を皆が語り出す。
「不安で不安で夜中に起きて椅子に座ってたらな、いつもは朝まで起きないこいつが起きてきてオレのとこに来るんや。わかるんやなぁ、こんな犬でも」
「みんなで愛犬連れて旅行したのも懐かしいなぁ」
「この子、私が見つけたんよ。そこの坂道のところを向こうからとぼとぼ歩いてきててね……」
ここにいるフリオさん、えっちゃん、有希、私の四人がそれぞれにトトの思い出を持っている。
明日になればトトを愛したもっとたくさんの人たちがお見舞いに訪れるだろう。
「私が死んでも、悲しんでくれる人はこんなにいないと思うなぁ」
私はついそう言った。
「そんなことないよ、少なくともここにいる人くらいは……」
「たったそれだけ?」
我が家の愛犬も今年十三歳。ワイヤーフォックステリアという犬種の平均寿命は十四歳だと聞く。だとしたらあと一年しかない。そう思うときゅんと胸が苦しくなる。まだまだ元気だとはいえ、愛犬の衰えは最近目に見えてきている。
「偲ぶ会、するからみんな来てや」
フリオさんはそう言って、冷たくなってきたトトの身体に生きているときと同じように何度もキスをした。
了
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