第七百五十話_short ダイアリー [allegory(寓意)]
そもそも私は文章を書くということが苦手だったようだ。それがある程度人並みに書けるようになったのには小学校時代の恩師のおかげだともいえる。他のことで覚えていることは少ないのに、鮮明に覚えている場面がある。
それは小学校に入って間もない頃のことだ。父親の転勤で、私は小学一年生にして既に一回の転校を経験していたのだが、新しい学校に入って間もない頃だった。国語の時間、大きなマスの原稿用紙が配られて、なんでも好きなことを書きなさいと言われた。
他の友達はみんなすぐになにかを書き始めたのに、私はただただ茫然と白い原稿用紙を見つめるばかりだった。間もなく国語の時間も終わりに近づいたとき、先生が近寄ってきてどうしたのかと訊ねた。私は泣きそうになりながら、なにを書いたらいいのかわからないと答えた。
その後のやり取りは覚えていないが、おそらく、いまのことを書いてはどうかと指導されたのかもしれない。私はようやく鉛筆を手に、何とか名前とタイトルだけを書いた。
「書くことがない」
そして授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったのだ。
その後、心配した教師が私の親とも相談したのだと思うが、私に日記を書くようにと言った。私はその日から毎日日記をつけては学校に持って言って先生に渡した。先生は毎日私の日記を読んで感想を書いてくれた。よくド氏は持ち上がりだったので、同じ先生が日記の添削を続けた。三年生になると担任が変わってしまったが、前の先生の申し送りで引き続き新しい先生が添削してくれた。こうして私は高校生になるまで、約十二年間日記を書き続けた。さすがに大学に入る頃には滞るようになり、やがて日記は止まってしまったのだが。
今改めて考えると、あの時の先生の指導があっての今がある。そして「書くことがない」と書いたことがスタート点でもある。
このところ、毎日綴っているショート文が滞りがちになっている。かろうじて書きだめているから見た目では中断したことは無いのだけれども、実際には何も書けない日が続いていたりもする。書こうと思うのだが、PCの前に座っても何も始まらないのだ。なぜか? そう、書くことがないのだ。
「書くことがない」
どうやら私は昔帰りしはじめているのやもしれない。
了
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