第七百七十五話_short 最終回? [literary(文学)]
「もう……もうすぐ終わりなんだ」
ベッドに横たわった爺さんが苦しそうに言った。
「終わり? なにが終わるんです?」
また寝ぼけておかしなことを言い出したなと思いつつ、それでも無視できないなと思って僕は訊き返した。
「なにがって……そんなことわかっているだろう? そんなこともわからないような人間に育てた覚えはないぞ」
爺さんとは血のつながりこそないが、もう長い間親子のように世話になってきた。爺さんは仕事上の師匠であると同時に人生の師匠でもあるのだ。
「いや、わからないな。いったいなにが終わるというのか、いやたぶん、自分で終わらせようとしているんじゃあないのか?」
思いやりに欠けた僕の言葉に爺さんは目を瞑った。そうなんだ。なにが終わるにしろ終わらないにしろ、ここはそれは間違っている、あなたはまだ終わらない、大丈夫だ、というような言葉を発するべきだったのだ。
爺さんは、癌とか糖尿病とか、はっきりした病に冒されているわけではない。だが、長年の無理が祟って身体のあちこちにガタがきて弱っているのだ。ここ数日間、一日のほとんどをベッドで横になって過ごす毎日を送っている。たぶnしばらく休養しさえすればまた元気を盛り返すはずなのに、気弱になってしまっているのだ。老人特有の「早くお迎えが」とか「もう楽になりたい」とかいう言葉の代わりに「終わりなんだ」という意味不明なことを根ごとのように言っているだけなのだ。
眠ってしまったのかと思っていたら、爺さんは再び目を開いて言った。
「お前はわかっているのに、そうじゃないふりをして……いや、そんなはずがないと自らを騙して事実と向き合おうとしない。それはあまりよい態度とは思えんな。お前らしくない。これまでどんなことにも正面から立ち向かってきたんじゃあないのか?」
今度の爺さんの言葉は僕の胸に突き刺さった。
そうだ。その通りなんだ。ほんとうは僕にもわかっていた。爺さんが最初に行った「もう終わりなんだ」という台詞は、僕が言ってもおかしくないものだった。なのにそれを言わないどころか、人の言葉でさえ否定しにかかっていた。
事実なんだ。
この世にははじまりがあれば、必ず終わりがある。人の生だってそうだ。いつか必ず終わるんだ。みんな本当は終わりに向かって突き進んでいくだけなのだ。だからとても美しい終わりにしなければならないと信じ込んで悩み続けるんだ。
急に人生訓のような思想が頭の中を巡りはじめた。
「ようやく飲み込めたようだな。しかし、今日で終わるわけじゃあない。明日もあるし、明後日もある。だがそこで終わる。お前はそのときどうするつもりだ? 最後の時をどのように迎える?」
爺さんの言葉もまるで禅問答だ。そんなこと聞かれても俄かには答えられない。まったくわからないのだ。
だが、終わりはもうそこまで来ている。爺さんが言ったように明日はある、明後日もあるが、そこまでなのだ。
何故だ? なぜ明後日で?
その問いは、なぜ人間は死ぬのか? なぜ寿命までしか生きられないのか? という問いに似ている。あらかじめ決められているだけのことだ。人間の死はいついつとはっきり決められているわけではないが、今回の終焉は最初から決められていることなのだ。
実際、この世界は一度終わった。しかし創生主の気が変わったのか、そこからまたはじまった。ただし期限付きで。その起源が明後日というわけなのだ。
千一話物語り。それがこの世界のバイブルだ。そして再会してからは+777という不可思議な数字が加えられた。だから千一話プラス七百七十七話の計である千七百七十八話となる明後日がフィナーレとなるのだ。
僕も、爺さんも、そしてこの世界に住むすべての者が明後日で終わる。
それでいいじゃないか。その後どうなるか? それはわからない。終わりは無。無は無。その後なんてありはしない。
そういうことだから、潔く身を納めたい。そうだよな、爺さん。
もはや言葉を発しなくとも爺さんにはわかったようだ。爺さんも僕を見ながら黙って頷いた。
まだちょいと早いが準備しておこう。別れの言葉を。
アディオス。
さようなら。
了
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