今日気づいたこと① [ordinary day(日常)]
ドラマや映画、小説や有名人ゴシップ。
そんな他人の物語りを、なんで私たちは見たがる、読みたがるのだろう。
とりわけよくできたお話には身も心ものめり込んでしまって感情移入。
まるで自分のことのようにドキドキしたり、腹を立てたり、涙したり。
いやいや人間はそういうのが好きなんですよ。
そう言われてしまうとそれで終わってしまうんですけどね。
物語りを自分自身に投影して、つまり疑似体験することによって学習してるんだよ。
ということは、物語りはマニュアルのようなもので、今後生きていくための処世術を学んでいる?
ううーん、そういう側面もあるかもしれないけど。
だけどだったらもっと卑近な物語にしか興味がわかないのでは?
殺人事件とか、海外の政治モノとか、そういうのってとても自分の処世術には合わないのでは? とか思っちゃう。
好奇心。
そう、人は知りたいのだ。自分が知らないことを何でも知りたい。
宇宙がどうなっているのか、世界にはどんなところがあるのか、海にはどんな生物が棲んでいるのか、
そして、他人がどんなふうに暮らしているのか。
だから芸能人のゴシップなんか大好きだし、ご近所や社内の噂話なんてもっと大好き。
人間には好奇心があるから新しいことを学び、発見し、発明して進歩してきた。
いやいや、発見、発明に好奇心が必要なことはわかるけれども、他人の生活をのぞき見することは進歩と関係ある?
うーん、関係ないけど、とにかく好奇心があるためになんでも知りたがる。
知りたがる本性を満たすために、自分が知らない物語りなんかを求める。
でもさ、物語りって、全部嘘っぱちじゃない。
物語りに謎が隠されていて、それを知ったところで、全部作り話。
なんら宇宙の真理を解き明かすものでもない。
なのに知りたがるから、作家は嘘っぱち(空想)の物語りを創って提供するのだ。
知らないことを知りたがる、好奇心は人間の本性。
ってことはつまり、結局
「そういうのが好きなんですよ、私たちは」
ということに尽きるのかなぁ。
了
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千一話物語beyond [literary(文学)]
千一話物語beyond
びよーん!
で 終了 してしまいましたよ。
ここは、終了していますよ。
千一話物語777は、777話では飽き足らず、780話というキリのいいところまで引っ張って、
前ブログ1001話と合わせると1781話という中途半端な数字で終了!
しかもその終わりが「びよーん!」とは?
謎は謎を呼ばず謎のまま……
近々「千一話物語ビヨンド」のタイトルで再開させようと・・・・・・
はぁ? ビヨンド? それで「びよーん」?
また駄洒落かい?
と思っていたら、スタートレックの最新作(2016年7月後悔予定)の原題は「Star Treck Beyond」だそうで。
その公表に先駆けて構想していたのですが……
次回作は、遠い宇宙の未来の話! ってそれはスタートレックのお話ですが……
いつかそのうち、再開するかもしれない、しないかもしれない「千一話物語ビヨンド」、ご期待なく。
了
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第七百八十話_short番外 びよ~ん [literary(文学)]
もう、三日間もここにいる。
なにもない真っ白な部屋。白い壁と白い床、天井。家具もテレビもない。誰もいないし、誰もこない。
ここは病院? いや、病院なら医者や看護婦がいるはずだし、なんとなく昔からなじみのある臭いがする。たぶん私が暮らしてきた部屋だと思う。でも、なにもないし、誰もいないのだ。不思議と原も空かないし、便意もない。いったいどうなちゃったんだろう。不安になって眠くなる。いつしか眠ってしまうと不安は消えてしまうが、記憶もあいまいになる。
たしか……三日前に真っ白な空間を浮遊していたような。
そうだ。なにかが終わってしまったのだ。
自分から終わらせたのではなくって、私の意思とは無関係に終わってしまったのだ。だから私は真っ白な世界に堕ち込んでしまい、私自身も真っ白になってしまった。
私が終わったのではなくって、世界が終って世界が私を終わらせようとしているのだ。
……世界が私を終わらせようとしている? 私の意思とは関係なく?
それでいい、それで当然だと思っていた。だってどう仕様もないでしょう? 世界がなくなってしまったんだから。私がいる場所もなくなってしまったということで。あれ? でも私はまだいなくなっていないのはなぜ?
人間はいつもなにかの枠の中で生きている。
そう、たとえば地球の、アジアの、日本の、この街の、この社会の、この家の中で生きている。ということは、逆にいえばいまこの枠の中でしか生きられていないということだ。
置かれた場所で咲きなさい。
誰かがそう言ったけれども、置かれた場所でしか生きられない。
日本にいるのにアメリカにいるようには生きられない。
だから私はいつも誰かの、なにかのせいにして生きてきた。
いいことや楽しいことは自分で求めているくせに、悪いことや辛いことはぜんぶなにかのせいにして、誰かのせいにして生きてきた。だから今回のこれも、世界がこんなことになっちゃったから、仕方がなく私も消えてしまう、なんてね。
でもなんだかわかってきたような気がする。
世界がなくなってしまった今、私は無の世界のせいで生きられなくなっている? 違う。生きている。
誰かのせいじゃなく、なにかのせいじゃなく、私自身の意思で、力で、考えで、反対に世界を作ってしまえるんじゃあないかしら。
この白い世界にはなにもないと思っているけれど、本当にそうなのかしら?
自分自身で、こうあってほしい! こうありたい! そう信念を持つだけで、もしかしたら、なにかが見えてくるのかもしれない。誰かのせいでも、なにかのせいでもなく、自分自身で。
私は思い切り体を千路メタ。膝を曲げ、腰を折って、できる限り渾身の力が体内に集まるような姿勢をとって身体の真ん中に力を集中させた。そして全身をばねにして飛び上がるのだ。そうすればきっと、白い世界からジャンプできるに違いないとそう信じて。
びよ~ん!
了
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